2006年10月18日

18年度の東京久米島郷友会

18年度の東京久米島郷友会

<その1>
お年寄りを大切にする沖縄らしく、長寿を祝い、健康を祈念し記念品の贈呈式がありました。

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ご覧の通り、車いすの方も数名いました。
保護者にも感謝です。来年もお会いできることを楽しみにしています。

<その2>
平良町長がお見えになりました。
情報はどこから流れたのでしょう?
町長の同期生が多数集まりました。・・・ご覧下さい。
「東京久米島郷友会」終了後の同期会の宴会は、さぞ楽しかったと思います。(笑

2006_1015_0019.jpg

<その3>
名士の方のご紹介もありました。・・・ご覧下さい。
これからも久米島の為にも宜しく御願い致します。

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posted by くめじまたいむ通信員 at 06:39| Comment(2) | TrackBack(13) | 東京(日本)中村通信員 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月25日

第10話 こんな所で死にたくない!(海人とーちゃんのアメリカンドリーム)

8月某日 大陸横断も3日目である。
今日も車は何もない砂漠の中をひたすら走る。
シーンと静まりかえった車内。
ただフリーウェイを猛スピードで回転するタイヤの
音がゴーゴーと響きわたる。
退屈で仕方がない。"そうだラジオを聞こう。"
スイッチを入れると ローカルなラジオ局から
流れてくるカントリ-ミュージックばかりである。
まあ仕方がない。

後部座席を覗いてみると みんなすやすや寝てる。
なんともほほえましい光景ではないか。

ep10_backseat_1.jpg






ところで おじさんは大丈夫なのか。

ep10_driver.gif

"ちょっと- おじさ-ん 居眠り運転危ないですよー!"
そしてなんと、次の瞬間
ガタガタ、ゴロゴロ-!
車は路肩へ突っ込んで行った。。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
幸いここは砂漠なので歩行者も建物もなかった。
"フー! 助かった!"
まさに危機一髪のところだった。



それからしばらく車内には緊張間が漂った。
さすがにおじさんも反省した様子。
後部座席のおばさんやいとこたちもシャキッと
している。

......それから10分後、





後ろの座席からズーズー、ゴーゴーとなにやら音が聞こえる。
振り返ってみると。。。。

ep10_backseat_2.jpg







なんと、...ね、寝てる。


さっきあんな事故があったばかりなのに。。。。
ところでおじさんは大丈夫なのか?

ep10_driver_2.jpg




オイオイオイオイオイ!"


俺はこんなとこで死にたくない!"
つくづくそう思う自分であった。


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クルーズコントロール
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クルーズコントロールは日本ではあまり普及してないようだが
アメリカではほとんどの車に装備されている。
クルーズコントロールのボタンを押して速度をセットすると
なんとアクセルを踏まなくてもセットした速度で車が走り続けるのだ。
何時間もアクセルを踏み続けていると結構足が疲れるものである。
そんな時にこれがあると随分楽である。
ただし、ちょっとでも居眠り運転をするとかなり危ない。



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posted by くめじまたいむ通信員 at 14:50| Comment(5) | TrackBack(0) | 海人とーちゃんのアメリカンドリーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月11日

第9話 いよいよルイジアナへ

9月から学校が始まる。場所はルイジアナ州の
Rustonという小さな町にあるルイジアナ工科大学。
そこで1年間 英語の勉強する予定だ。
Rustonまでは約3.000キロ。かなり遠い。

ep9_map.jpg


ところがなんとアメリカーの叔父は車で連れて行って
あげると言うのだ。とーちゃんの長距離ドライブの経験
といえばせいぜい那覇から辺戸岬くらいである。

カリフォルニアからルイジアナまで時速100キロで
走っても3日はかかる。ホントに大丈夫なのか
アメリカーのおじさん。

アメリカーの叔父の話によると "ナンドモ タイリク
オウダン シテマス(英語)" とのことだった。
アメリカーはすごい! スケールが違う。

結局 叔父の家族4人とルイジアナまで車でドライブ
旅行に決定。途中でラスベガスやグランドキャニオン
などを観ながら1週間かけてのんびり行く事になった。

8月某日 いよいよルイジアナへ向けて出発。
しかし。。。。結構退屈だった。町と町の間は本当に
何もない。テキサスは1日じゅう走っても砂漠の中を
一本の道が恐ろしいほどまっすぐに延びているだけだった。
アメリカは広い! つくづくそう思った。


ep_9_drive-1.jpg




どこまでも果てしなく続く長い道。
地平線のかなたの夢を追いかけて、
それは真っ青な空ではなくどこか不安な
夕暮れであった。


------------------
アメリカのモーテル
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ep9_motel.jpg


アメリカでは長距離ドライブはあたりまえで
2ー3日かけて目的地まで行くというのは珍しくない。
そこで泊まる宿といえばモーテルである。
モーテルといっても日本にあるようなエッチな
ホテルのことではない。
長距離ドライブの為の宿で、ホテルのようなサービスはなく
ただ寝るためのベッドがあるだけであるが
手ごろな値段で利用できるのがいい。


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posted by くめじまたいむ通信員 at 18:00| Comment(7) | 海人とーちゃんのアメリカンドリーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

年05月01日 ペルー沖縄移民100年祭ツアー その8 (フロリダ通信員)

2006年2月2日



ランチ前に無事にリマに戻りました。
なぜか家に帰って来たような気がしてホッとした。
この日の午後はランチに行ったり日系人が経営するギフトシヨップに買い物に行っりして半日過ごした。

もちろん私の高山病も不思議なぐらい消えていて(当たり前ですが)リマではまた元の大元気な私に戻りシッヨピングをエンジョイした。
なぜかまた夜中の飛行機で翌日の午後無事にフロリダに戻った。





2006年4月



今こうして何ヶ月か後に南米ペルーの旅の思い出を書いているとペルーでの事が昨日のように思い出せる。
しかし、ペルーの沖縄県人、日系人、そして地元のペルーの方たちは皆さん本当に親切で心が温かい人たちばっかりだった。


ペルー沖縄会館を訪ねた時、私たちを見ると何人ものペルー沖縄県人が親しく話しかけて来た。
本当になつかしそうに一生懸命日本語やウチナーグチで話しかけて来た。
会場内でニコニコと日本語や英語の通訳をしていた子供たち。
私に旧カイヤオ日本人小学校の住所を教えそれをスペイン語で書いてくれた元教師の女性。

マチュピチュ在住の沖縄県人のハズバンドとワイフ。
私がマチュピチュに行くと言ったら何か困った事が起きたら自分に電話をしなさいと住所と電話番号を下さった方。
秋子さんの親戚を探して下さったペルー沖縄婦人会の方たち。

また、ペルー日秘文化会館を訪ねた時、会館内でお仕事をしていた日系人女性の方に私のオジーが始めて入植した土地の場所が分からなかったのでそれを聞いたら彼女も分からないが調べておくとのこと。
そして後日その場所がどの辺にあるかとホテルに伝言を残して下さった方。

そして忘れてはいけないのはリマでの地元ペルー人のガイドのジョージさん。ジョージさんは仕事と言えよく私たちの面倒を見てくれました。
私たちも「ジョージ、ジョージ」を連発して色々な事をしてもらいました。

ジョージさんはとっても性格のいい好青年です。
将来は自分の旅行会社を持ちたい。
そして日本語も勉強したいと言っていた。
頑張り屋のジョージさんだからきっと彼の夢は実現することでしよう。


こうして書いてみるといろんな方たちにお世話になりました。感謝感激です。皆さん本当にありがとうございました。

またチャンスがあったらぜひ再び尋ねてみたい愛するペルー。
またクスコ市にも挑戦してみたい。
次回は私のドクターが言うように山の下の方から徐々に上がって行って身体を慣らしてからクスコ市内に入ろう。
そしてもう一度見たいあのマチュピチュ。


そうそう書き忘れるところでした。
二千一年の世界のウチナーチュ大会でお会いしたアルゼンチン沖縄県人会役員のTさんとペルー沖縄会館で再会。
その時「朝子さん二千七年はアルゼンチン沖縄移民百周年だよ。
ぜひ遊びに来てね」とおっしゃるではないか。

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私(左)と秋子さん(右)

たしかアルゼンチンにはイースター島があったはず、と私の頭にはまた凝りもせずにクレイジーなアイデイアが浮かんだ。(完) 

posted by くめじまたいむ通信員 at 12:49| Comment(13) | フロリダ(米)モートン朝子通信員  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月23日

前川朝文・東京公演レポート

5/20の東京は快晴です。
「前川朝文・東京公演」を祝うかのようにね。

ここ、会場は中央区新橋です。
画像は、ヤクルトホールです。

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チケットは完売されました。
満員御礼でした。

ロビーには、お祝いの花束がズラリでした。
前川先生の偉大さがここでも知ることが出来ました。


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開演前には、あちこちでワイワイしながら方言丸出し、
抱き合って涙ぐんでいるのも見受けるシーンもありました。
波状効果だね。

いよいよ、幕開けです。

勢揃いの一景では、ほ〜っ!
大拍手でした。

次から次へとプログラムは進行しました。

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公演も無事終了!

出演者やスタッフの「ご苦労さん会」がありました。
私は、二次会と理解しています。

公演の成功を祝い、皆弾けていました。
弾けるとはこのことでしょうか?

出演者も肩の荷が降り、安堵感でしょうね。
ご苦労様でした。そしてありがとう

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posted by くめじまたいむ通信員 at 14:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 東京(日本)中村通信員 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第8話 冷たいコーヒー? (海人とーちゃんのアメリカンドリーム)

学校が始まるまでしばらくの間 叔母の家にお世話に
なることになった。

ところで カリフォルニアの乾燥気候は果物の栽培に的している。
どこの裏庭へいってもフルーツがいっぱい。
たしか小学校の時、みかんは南国でリンゴは北国と
習ったが ここではあまり関係ないようだ。
みかんの木の横にリンゴの木があったりする。


バックヤード(裏庭)でフルーツを眺めながら日なたぼっこしてたら
いとこのキャロライン(仮名)がやって来て
"Do you want anything to drink? " (何か飲む?)
と聞いて来た。
"アイスコーヒー プリーズ" と答えたら嫌な顔された。
。。。。なぜ?

さて答えは?
1.とーちゃんの発音が悪かった.
2.アメリカ人はアイスコーヒーを飲まない。
3.とーちゃんの姿がみっともない。

ep8_ice_coffee.gif


-----------------------------------
アイスコーヒーを飲まないアメリカ人
-----------------------------------
アメリカにはアイスコーヒーを飲む習慣がない。
アイスティーは一般的なのに。。。
当時はアイスコーヒーというものをアメリカ人に説明
すると "冷たいコーヒーなんて気持ち悪い" と言われた
ものだった。
最近スーパーやコーヒー専門店で見かけるように
なったが まだ一般的ではない。
レストランへ行って "アイスコーヒー プリーズ"
なんて言ったらウェイトレスに絶対に嫌な顔されます


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posted by くめじまたいむ通信員 at 13:55| Comment(12) | TrackBack(1) | 海人とーちゃんのアメリカンドリーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月06日

第7話 沖縄のアメリカーとアメリカのアメリカー (海人とーちゃんのアメリカンドリーム)

第7話 沖縄のアメリカーとアメリカのアメリカー

みなさん たいへん長らくお待たせしました。
海人とちゃんのアメリカンドリーム 第二章のはじまりです。

1986年 7月某日、やっと叔母の家にたどり着いたとーちゃん、
学校は9月から始まるのでしばらく叔母の家でのんびり過ごす
ことになった。

アメリカと言う国はずごい。とにかく何でも日本よりサイズが
一回りも二回りもデカイ!
アメリカ人がデカイというのは沖縄のアメリカーを見て
よく知っていたが、まさか衣食住すべての面において
ここまでデカイとは。。。

たとえばスーパーへ行ってみると、
日本の米袋の大きさほどのポテトチップス,
1ガロン(約4リットル)の牛乳,
バケツに入ったアイスクリーム,
と、まあこんなぐあいである。これは卸売ディスカウントショップ
ではない普通のスパーである。これが卸売ディスカウントショップだと
さらに一回り大きくなるのである。たとえば、
ポテトチップスは米俵一ぴょうくらいの大きさはあるのでは?
と思うくらいデカイ。
そんなにいっぱい食べて太らないのか?と思うかもしれないが、、、
やっぱり太っている。。。。あたりまえヤン! (大阪弁)

道路が広々としている。ただの住宅地なのに那覇の国際通り
よりも広いではないか! そのせいか、なぜか空が広く感じる。
雲一つない真っ青の空は吸い込まれそうなくらい近い。
芝生も青々してきれいに手入れが行き届いている。



そしてもうひとつ大きな違いに気付いた。
沖縄のアメリカーとアメリカのアメリカーはどこかちょっと
違う。


注) 沖縄のアメリカーをバカにしている訳ではありません。
くれぐれも誤解のないように。

ep7_people-1.jpg


----------------------------
アメリカ人のマイホーム
----------------------------
日本ではマイホームといえば一生涯住む場所であるが
アメリカでは一軒の家に何十年も住む人は少ない。
5-6年で次のちょっとアップグレードした家へと引っ越すのである。
とーちゃんも今の場所に移り住んでまだ10年なのに気がつけば
近所でもかなり古い住民になってしまった。

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posted by くめじまたいむ通信員 at 08:24| Comment(8) | 海人とーちゃんのアメリカンドリーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月01日

掲示板もご利用ください

世界の久米島んちゅを閲覧してくださっている皆様とのコミュニケーションの場として掲示板を設置しております。どなたもご自由におしゃべりしていってくださいね!島外での久米島に関する情報などもぜひおよせください。
posted by くめじまたいむ通信員 at 04:02| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ペルー沖縄移民100年祭ツアー その7(フロリダ通信員)

2006年2月1日

寝たようで寝られなかったようで訳の分からない気分で朝の四時起き。
今朝はマチュピチュ行きの朝六時の列車に乗らなければいけない。

ホテルで朝食。もちろん食欲なし。
私のことを心配してくれたハワイからの参加者のEmikoさんがインスタントの味噌汁を一袋くれた。
旅慣れているEmikoさんは旅には常にインスタントの味噌汁を持参しているそうだ。
食べ物を見ただけで吐きたいのにでも味噌汁はどうにか少しだけは飲むことが出来た。
やはり私は日本人だな〜!私も次の旅からはインスタント味噌汁を持ち歩こう。

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(写真)クスコ市内にあるマチュピチュ行きの駅と列車


列車は時刻通り出発した。
ペルー関係のインターネッ上ではこの列車は揺れが激しいと書いてあったがそんなに揺れはなかったと思う。
でも吐き気と頭痛で揺れどころではなかったからひよっとしたら揺れていたかも知れない。

車窓からはペルーの美しい山々が見えた。
のどかな国だな〜。ホントにいい国だな〜。
もっと時間と予算があったら後一週間位休暇を延長して山々の麓で昼寝でもしたいな〜とガンガン痛む頭で思った。

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(写真)列車、バスを乗り継いでやっとマチュピチュ入り口到着


列車の旅約三時間半、そしてバスを約二十分乗り継いでやっとマチュピチュ到着。マチュピチュはクスコ市より千メートルは下がる(正確に言えば標高二千二百八十メートル)とのことで高山病が少しは軽くなるのではと期待した。
やはりマチュピチュ到着後は吐き気は治まった。
でもまだ相変わらず頭はガンガン痛む。でもよく頑張ってここまで来たものだと自分を褒めてやった。



http://www.peru-japan.org/Smachupicchu.html

ガイドさんがマチュピチュの入り口で皆の入場料を払っていた。
いよいよ「空中都市」あるいは「失われた都市」と言われているマチュピチュ入場。
細い道を歩いていたら突然視界は異様な山の麓にある都市がドッ!ドッ!と出現!「わーこれはいったいなんだ〜?」これが最初の私の感想。

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(写真)石と石の間には隙間がない!

もっと文学的にあるいは哲学的にあるいは宗教的に感想が書けたらいいのだが私の頭ではこれ以上の言葉が出ない。皆さんごめんなさい!

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(写真)これが高台から撮ったマチュピチュ

http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cardr009.html

http://www.jttk.zaq.ne.jp/baapu408/36machupichu.htm


マチュピチュの遺跡では約四時間過ごした。
私はまだ頭痛は治っていなかったがフラフラしながら歩き回った。
山の気候は変わりやすいと言うことで雨合羽も持参していたがラッキーなことに雨は一滴も降らなかった。
クスコ市は寒かったのに(厚いオーバーを着ていた)マチュピチュは暑かった。あんまりの太陽光線の強さにまいってしまい日陰を探したが日陰はついに見つけられなかった。

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(写真)マチュピチュ内

頭は相変わらずガンガン痛む。それでも頑張って最後までガイドさんの後ろから衝いて歩いた。
いよいよマチュピチュの出口が近づいて来た。
後ろを何回も振り向き「これでマチュピチュともお別れか。
たぶんもう二度とは来られないかも知れない」と思うとなんだか寂しいような勿体無いような、頭がガンガン痛くてももっと居たいようなそんな気がした。後ろ髪を引かれる思いでマチュピチュを後にした。

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(写真)ここが私の一番のお気に入りの場所
    なんとなく心が落ち着くような気がした・・・
 
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(写真)いよいよマチュピチュともお別れ
     皆で記念写真


駅に行くための帰りのバスに乗り込んだ時、地元のガイドさんにインターネットで「グッドバイボーイ」が要るということを調べたけどグッドバイボーイはまだ出現するのかと尋ねたらラッキーなことにまだ要るらしい。

しばらくバスはクネクネの山を下山。
ガイドさんが「ほらっ!グッドバイボーイがバイバイしているよ」と言っている。
見たら大人(父親かも)といっしょに小学校5年生ぐらいの男の子がペルーの民族衣装を着て一生懸命バイバイしている。
もちろんバスの中の私たちも皆でバイバイをした。またバスはクネクネ道を下山。そしたらさっきバイバイをしていた男の子がもうすでに先に来ていてバスを待っていた(地元の人しか知らない近道があるはず)バスは彼を乗せるために停車。

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(写真)バスにのりこんできたグッドバイボーイ

グッドバイボーイを乗せてバスは再び発車した。バスに乗り込んで来たグッドバイボーイはスペイン語で(と思うけど)「ナントカカントカ」と歌のようでもあるし、詩でもあるようなことを言っている。それがとってもかわいかった。その後皆からチップを貰っていた。もちろん私も彼にチップをあげた。私は子供には弱いのです。
この少年は駅の近くで降りた。


また帰りも行きと同じで約3時間半の列車の旅。
車内では列車勤務員の若い男女によるファションショーやペルーの民族舞踊などが披露された。

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(写真)帰りのクスコ行きの列車でのペルー民族舞踊を踊っていた
    ペルーの若者


私の頭は相変わらずガンガン痛む。
カメラをバッグから出すのをフユーしてファッションショーの写真を一枚も撮っていないのが後で悔まれた。



夕方にクスコ市内に戻って来た。やはりクスコは冷えるな〜。
寒い!そして頭痛は相変わらず。私の身体はぜんぜん高山に慣れる様子なし。
ギブアップ!この晩はクスコ市内のレストランでの夕食会。
そして生バンドもあるらしい。
やはり私はこれにも行けなかった。
もうただただ横になりたかった。
になったら気分が良くなるかと言うとそうではない。寝ていても気分はまったく同じ最悪さ。

ちなみにハワイからの参加者の八十二歳の淑子さんはぜんぜん平気だった。
クスコ、マチュピチュでもピンピンしていた。
クスコ行きの飛行機で隣り合わせた若い日本人の学生風な男性ともマチュピチュで偶然に再会したが、その時、高山病はどう?て聞いたらぜんぜん平気ですとの答えが返ってきた。

なんで〜私だけこんなに気分悪いわけ!でも私たちのツアーメンバーから二人の方がクスコまで来て高山病がひどくて結局はマチュピチュには行けなかった。
それを考えると私はクスコ市内観光は出来なかったがまあまあいいほうか、と思った。


ペルー沖縄移民100年際ツアー その8へ続く・・・
posted by くめじまたいむ通信員 at 03:56| Comment(2) | TrackBack(0) | フロリダ(米)モートン朝子通信員  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月25日

ペルー沖縄移民100年際ツアー その6(フロリダ通信員)

2006年1月31日

いよいよ待ちに待ったクスコ市そしてマチュピチュへの出発の日。
ペルー行きを決心した時インターネット上で調べたらクスコ市では高山病が心配とのこと。
http://www.forth.go.jp/tourist/useful/10_kousan.html

高山病はかかる人も居るしぜんぜん平気な人も居る。
私はなぜか絶対に高山病にかかると確信していた。
なぜか分からないが確実にかかるような気がしていた。
ペルー出発前にわざわざドクターにアポイントメントを作って高山病の薬をくれと頼んだがぜんぜん聞いてくれない。

私の住んでいる町で高山病についてドクターに問い合わせたのは私しかいなかったはず。
高山に急に(飛行機で)降りないで下から徐々に登っていけば大丈夫だ。
とそればっかり言っている。
ヤブ医者!下から徐々に登っていく時間ないちゅうの!
高山病の薬はあきらめた。どうにかなるだろう。

秋子さんの従兄弟さんに会った時、「マチュピチュに行くのだ。」と従兄弟の娘さんのロザリアに話したら彼女は丁度去年の十一月に休暇で行って来たばっかりだと言う。
その時飲んだ高山病の薬が残っているからそれを二人で飲みなさい。
絶対に大丈夫だと言う。
喜んでそれを貰うことにした。

出発の晩から飲んで出発の朝、また飲めばだいたいは大丈夫だと言う。
出発前の晩、秋子さんと二人で、さては飲んでいいものかどうかと迷っていた。
薬のパッケージはスペイイン語だし、何が書かれているのかさっぱり分からない。二人で薬を手に持ってどうしたものかと考えていたら突然秋子さんが「ダーワンガサチヌムサ」と言って飲んでしまった。
秋子さんだけ飲ますわけにもいかないから私も続いてそれを飲んだ。
飲んだ後しばらく心配だったが大丈夫だったらしい。
翌日は無事に二人とも起きたから。出発の朝また一定づつ飲んだ。


飛行機は案外居心地が良かった。
飛行機会社は地元のエアーラインズだったが飛行機も意外と新しいような気がした。


約一時間の飛行機の旅。無事にクスコ市空港に到着。
飛行機から降りたらゆっくりと歩くようにとガイドさんに言われていたので全員ゆっくりと歩いた。
たまには飛行機を降りた途端にバタッと倒れ人も居るそうだ。
気をつけよう。

peru_6_2.jpg
(写真)クスコ市内(ホテルに行く途中)


空港からホテルまでバスで二十分位。
まだまだ大丈夫。でもなんだかおかしいな〜。
胸がムカムカしてきて吐きたい。
なんだか頭もガンガン痛い。
来たなー(高山病が)と思った。
なんせ私の住んでいるフロリダ州は山がまったくない。
丘もあんまりない。なんとここは標高三千五百メートル。
空気が薄い。やはり高山病にかからないのがおかしい。
ホテルに着くなり酸素吸入のお世話になった。
でもあれもあんまり効き目はなかったような気がする。

peru_6_1.jpg
(写真)ホテルの窓から撮ったクスコ市内


ホテルにはコカティーがいつでも飲めるように置かれていた。
コカティーは高山病にいいらしい。何杯も飲んだ。
でもあれもあんまり効き目はなかったような気がするなあ。
コカティーの飲みすぎ(と私は今でもそう思っているけど)で下痢をしてしまった。


割り当てられた各部屋に荷物を置きすぐにロビーに集合。
クスコ市内観光だ。
私は最高に頭が痛くてムカムカしていたが(ついには吐いたりもした)、一応大金を払ってきたペルー観光。
クスコ市内観光を見逃すまいとフラフラしてロビーまで降りたがやはりだめ。同室の秋子さんに明日のマチュピチュ観光のために用心して部屋で休んで居ると断ってまた部屋に引き返した。

この後からが地獄だった。
(ちょっとオーバーですが)その日は一日中食事は一切出来なかった。食べたくなかった。食欲がぜんぜんなかった。
リマのホテルで朝食を食べたのが最後の食事だったかな〜と思ったりしたがなんせぜんぜん食欲なし。
頭は誰かが私の頭の中に入って金槌で脳みそをガンガン叩いているような痛さ。アスピリン(頭痛薬)を飲んでもぜんぜんきかない。
私はただひたすらベッドの中でウンウン唸っていた。

秋子さんが市内観光からの帰りに、私のことを心配してテイキアウトで食事を持ってきてくれた。
だが食べ物を見ただけで吐きたい。
秋子さんには悪いと思ったが食事はできなかった。
習慣とは恐ろしいものであんなに苦しんでも寝る前にシャワーを浴びたい。
どうにか頑張ってシャワーに入ってまたベッドに潜った。
秋子さんも頭はガンガン痛いと言っていた。

http://www.peru-japan.org/Scusco.html

http://www.jttk.zaq.ne.jp/baapu408/02cuzco.htm

ペルー沖縄移民100年際ツアー その7へ続く・・・
posted by くめじまたいむ通信員 at 03:17| Comment(2) | フロリダ(米)モートン朝子通信員  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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